なぜヒトラーはユダヤ人を虐殺したのか?

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なぜホロコーストは起こったのでしょうか?

なぜヒトラーはあそこまでユダヤ人を嫌っていたのでしょうか?

民族主義・ポピュリズム・キリスト教の歴史など、一言では語れないほど多くの要因があります。

ヒトラーには、ユダヤ人を処刑しなくてはいけない理由でもあったのでしょうか?

まずは、ヒトラーがなぜ「ユダヤ人は敵」と考えるようになったのか、見ていきましょう。

ヒトラーの心の歪み

なぜヒトラーはユダヤ人を迫害したのか

実はヒトラーは、画家志望だったことをご存じでしょうか?

1907年4月、18歳になったヒトラーはウィーンに移住し「ウィーン美術アカデミー」を受験するも、不合格。1908年にも受験するが、ここでも不合格でした。

受験が失敗した後ウィーンで貧乏生活をしていたヒトラーは、お金持ちを目の当たりにして「人生は不公平だ」と考えており、このお金持ちの中には当然ユダヤ人も多く含まれていました。

一説には、「自分がお金がないのは、ユダヤ人がお金を稼ぎまくっているからだ」という偏屈な思想がこの頃にはあったようです。

2度目の受験が失敗したあとヒトラーは消息を絶ち、1909年頃には住所不定の人物として浮浪者収容所や公営寄宿舎に住んでいました。

この頃のヒトラーは歌劇場に通ったり、図書館から大量の本を借りて本を読むなどしており、その中に、アルテュール・ド・ゴビーノ(白人至上主義を提唱した人物)やヒューストン・チェンバレン(人種的反ユダヤ主義を支援した人物)などの本も読み漁っていたんです。

この時期には、他にも汎ゲルマン主義(ゲルマン民族の団結と世界制覇を主張する運動や主義)の政治家や、民族主義、反ユダヤ主義の影響も強く受け、ヒトラーの歪んだ思想は徐々に形成されていきました。

この頃には、「ユダヤ人=頭が良い=危険」という図ができていたようです。

第一次世界大戦

なぜヒトラーはユダヤ人を虐殺したのか?

第一次世界大戦が始まるとバイエルン王宛てに請願書を送り、オーストリア人でありながらバイエルン王国(ドイツ)の義勇兵として戦争に参加しました。(ドイツ市民権取得は1932年)

ヒトラーは大戦前から大ドイツ主義者で、世界大戦でもドイツ軍(バイエルン王国)として戦争に参加したため愛国心がますます高まり、第一次世界大戦でドイツが敗北すると、「自分の使命はドイツを救うこと」と確信し、その後政治の道に入ります。

この頃には周辺国や国内の政治団体に対する過激な演説をするようになり、名前が徐々に知られていきます。

1932年にドイツの市民権を取得すると、大統領選挙にも出馬しますが、落選。それでも多くの得票数を得て、存在感を見せつけました。

その後の国会議員選挙では、ナチ党は37.8%の議席を獲得し国会の第一党になり、その後に首相になります。

なので実際にナチスを支持していたのは、国民の3割ちょっとだったんです。正確に言えば、この時に力を持っていた共産党に対抗できる唯一の政党だったため票がナチスに流れたので、実際はもっと少ない支持率でした。

この選択が間違えだったのですが、その後はみなさんがご存じのように、悪夢の第二次世界大戦が起こります。

ユダヤ人迫害の理由

ユダヤ人迫害の理由

前述したように、ヒトラーは民族主義・反ユダヤ主義に傾倒しています。

すなわち、ゲルマン民族は世界で最も優秀な遺伝子を持つ人種であり、ユダヤ人との混血で汚してはならないといった主張です。(ヒトラーの見た目は、100%のゲルマン民族には見えないですが・・・)

実際にユダヤ人は優秀な人が多いのですが、ヒトラーも気づいていたようですね。

また、ヨーロッパには2000年以上に及ぶユダヤ人迫害の歴史があるので、標的にしやすかったんだと思います。

「なぜ欧米でユダヤ人は嫌われる?」で詳しく紹介していますが、ヨーロッパでの一般的なユダヤ人のイメージを紹介します。

  • お金持ち(=自分が貧乏なのはユダヤ人のせい
  • ビジネスが上手い(=がめつい
  • イエスキリストを殺した(=敵
  • 優秀な人が多い(=ゲルマン民族の方が優秀だという対抗心

ユダヤ人を標的にする理由なんて、いくらでもあったんですよね。今でも標的にされていますしね。

みなさん、グループ(学校のクラス・都市・県・国など)をまとめる時に一番有効な方法は知っていますか?

それは「共通の敵を作る」です。

日本のご近所さんもやっているでしょ?あれはすごく有効な方法なんです。

例えば友達にAという人物がいたとして、今は仲がいいし普通に友達だとします。

でも他の多くの人から「あなたの前ではいい顔しているけど、本当はあなたの事嫌いなんだって」や、「Aは口が悪い」、「物を盗んだ」などの良くない情報を毎日聞いていたら、「Aって実はそういう人なんだ・・・」って思ってしまう人が多いと思います。

ナチや現在のポピュリズム政党は、こういう手法を使うんです。

イギリスのブレグジットを見ても同じですが、「あなたが失業しているのは、ヨーロッパから労働移民が来たからだ」「あなたの店が繁盛しないのは、ヨーロッパから無関税で外国の品が輸入されるからだ」なんて、偉い政治家が毎日言っていたらどう思います?

「そうかも・・・。外国人が自分が就くはずだった仕事に付いているから、無職で食べるお金にも困っているんだ・・・。」

って思ってしまうかもしれませんよね。実際にイギリスではそう思う人が多かったので、EUの離脱が決定しましたよね。

なのでユダヤ人迫害の理由は、「共通の敵を作るための政策」といった一面もあります

あまり語られていませんが、実際にはユダヤ人だけでなくジプシーたちも迫害にあいました。

ホロコーストに至った理由

ホロコーストの理由

首相になったヒトラーは初めから虐殺を計画していたわけではなく、最初は国外退去(国外強制移住)という方法をとっていました。

そんな時、1938年の11月に「水晶の夜」と呼ばれる暴動がドイツ各地で発生しました。

水晶の夜とは、「パリに住んでいたポーランド系ユダヤ人の少年が、ドイツ大使館員を殺害したためにドイツ人が報復行為に出た」ものです

暴動中ユダヤ人は暴行を受け、殺害された人も多く、シナゴーグ(ユダヤ教会)やユダヤ商店、家、学校、病院などユダヤ人のもの・場所など破壊され、道路に散らばったショーウィンドウの破片が月明かりに照らされて水晶の様に輝いていたために、こう呼ばれています。

ちなみにこの暴動で逮捕されたのは被害者である3万人のユダヤ人で、多くの人はすぐに保釈されたのですが、強制収容所に送られた人もいたようです。

ここからどんどんとドイツ国内のユダヤ人の迫害・強制移住・強制収容所送りが加速していき、翌年にはドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まります。

アウシュビッツ<ユダヤ人たちが処刑された場所>

ポーランドには200万人以上のユダヤ人が住んでいたために、全員を追放することは不可能に近かったため、まずはアウシュビッツに隔離し、強制労働に従事させます。

ちなみにアウシュビッツとはもともと「強制収容所」であり、虐殺をするために作られたわけではありません。収容された人たちは、東欧進出した際の労働力として使うために収容されました。

また、アウシュビッツとは44ある収容所の総称なので、1つの場所の1つの収容施設を指すものでもありません。

収容されたのはユダヤ人だけでなく、政治犯やジプシー、障害者、聖職者など多岐に渡ります。

しかし戦況の悪化でユダヤ人の移送や、移送先の確保が難しくなると方向転換し大量殺戮に向かいます

これがホロコーストの真実です。

ロシア進出を目論んでいたドイツですが、なかなか侵略できずにいたため、移送する場所が無いので殺すことにしたのです。

ヒトラーはどんな思考回路をしていたのでしょうか?

そういえば、ヒトラーはジャンキーだったという説もありますね。

医者から精神が安定すると勧められていたものが、実は薬物でまともな思考ができなかったというものです。

映画「ヒトラー最後の12に日間」でも、薬を沢山飲んでいましたしね。

まぁ、まともな神経をしていたらこんな事はしないので、歴史家たちは否定しているようですがあながち間違いじゃないでしょうね。(パーキンソン病だったという話もあります)

ホロコーストの語源

ホロコーストとは、もともとユダヤ教の宗教用語で「丸焼きのお供え物」と言う意味だったのですが、1978年にアメリカで放映されたテレビドラマ「ホロコースト」によって、「ユダヤ人虐殺」を表す言葉になりました。

神聖な宗教用語だったのに、アメリカのドラマでここまで違った意味で普及したのもすごいですね。

最後に

長くなったのでまとめます。

ユダヤ人虐殺に至った流れは、

  1. 貧乏だったので逆恨み
  2. 共通の敵を作るポピュリズム政策
  3. 移送場所が無いので虐殺

です。2は政策としては理解できるのですが、それ以外は「えっ?そんな理由で?」ってなりますよね。

ヒトラーはユダヤ人の友達がいたって噂もあるし、一度反ユダヤを言い出したから後戻りできなかったんじゃないでしょうか。